メイキング・オブ・『自殺同盟軍』

作者註>りゅうのすけ画伯(甥っ子・3歳)に描いていただいた、私、鈴木剛介の似顔絵。かなり、雰囲気をよく掴んでいます。っつーか、はっきり言って似てます!

この作品は、ウィラード、スタンス・パンクス、モンゴル800、ザ・ハイロウズ、ザ・イエロー・モンキー、バッド・レリジョン、安室奈美恵、大塚愛(って意外とパンク?)、オレンジ・レンジ、岡村孝子、ベートーヴェン、モーツァルト、ジョージ・ウィンストン、ノラ・ジョーンズ等をBGMとして、執筆されました。

『自殺同盟軍』というタイトルというか構想自体は、ずいぶんと以前からあったのですが、当初のアイデアというのは、「自殺を志す者たちが3万人くらい集結し、次々と命を投げ捨てて巨悪と闘う」みたいな、まるで『少年ジャンプ』の漫画のようなもので、うまく着床しませんでした。

それが、『THE ANSWER』が無事刊行され、増刷された後、ものすごい虚脱感に襲われ、またぞろ自殺衝動が首をもたげはじめ、嫁さんに「自殺したいよう、自殺したいよう」と訴えていたら、「そんなに自殺したいなら、自殺の小説でも書けば」と言い返され、それをきっかけに現在の『自殺同盟軍』の雛形となるアイデアが「ぶわっ」と浮かび、その日から、2週間くらいで、「ガーッ」と一気に前半を書き上げました。(それで、自殺衝動は雲散霧消してしまいました)それが、2004年の11月の終わり頃です。

ところが、後半に入り、がっくりとペースが落ち、筆が進まなくなって、ちょっと書いては嫁さんに読んでもらい、意見を求めてということを繰り返し、ようやく初稿を脱稿したのが、2005年の2月です。だから、本作は、ほとんど嫁さんとの合作と言ってもいいくらいです。

余談ですが、上司も同僚も部下もいない「作家」にとって、読み達者で、的確なアドバイスのできる伴侶をもっとも身近な場所に持つ、ということは、何よりも幸せなことです。私にとって、「第一読者」は、常に「妻」です。そして、「妻」の意見が、一般読者のスタンダードだと考えています。

執筆中、「自決少女隊」と名乗る自殺志願者バンドを描く『ゴーゴーヘブン!!』なる漫画がテレビドラマ化されたり、石田衣良氏が『反自殺クラブ』、戸梶圭太氏が『自殺自由法』を発表されたり、とネタのかぶる作品が相次ぎ、ちょっとヒヤヒヤしました。
しかし、私の場合、決して「時流に合わせた」ということではなく、たまたま現在自分のもっとも切実なテーマを描いたら、時代と被ったというだけなので、まあ、人は人、自分は自分という感じで割りきっています。

初稿脱稿後、編集者の方をはじめ、多くの方のご意見を参考に修正を繰り返し、結局1年がかりで7稿まで書き直しました。なので、初稿と完成稿は、ずいぶん内容もボリュームもテイストも異なったものになっています。どこまで他人(妻や編集者も含め)の意見を入れ、どこまで突っぱねるか、という線引きが非常に難しかったですが、基本的には、自分の納得のいく指摘をされた部分だけ手を入れるというスタンスでやりました。

「小説」には、オノパトペを使わない、修飾語、形容詞、副詞をできるだけ排除する、極力「削る」などのセオリーが存在しますが、この作品では、あえてそういった「慣例」は無視して、「ノリ」や「勢い」のようなものを重視しました。

私は長年患ってきた躁鬱病と統合失調症は、ほぼ完治したのですが、そのかわり「対人恐怖症」になってしまいました。正確な病名は精神科医にも分からないのですが、(「パニック障害」とも違うらしい)友人や肉親も含め、人と会ってしばらくすると、「バッテリー切れ」になって心身が「フリーズ」してしまうのです。極端な話、自宅に一人でいても「フリーズ」してしまうことがあります。
私は、決して酒を飲んで騒いだりするのが嫌いなほうではないし、カラオケなんかも好きなので、これにはほとほと参っています。会いたい人にも会えないし。会いたい人に会えるのに会えない、というのは、本当に辛く寂しいです。

ところが、新しく担当になった角川書店書籍事業部の成戸さん(私より10歳も若い!)といるときは、不思議とリラックスでき、発症しないのです。たぶん、相性みたいなものがいいのでしょう。これは本当に助かります。作家が編集者と打ち合わせするたびに「固まって」いたら、仕事になりませんから。

日課的には、朝4:00に起きて午前中執筆し、昼飯(平日は毎日100円のレトルト・パスタ)を食べた後昼寝、午後はキック・ボクシングジムに行き、その後近所のファミレスで参考文献を読み、夕食後、妻と一緒にレンタルDVD鑑賞、就寝前に妻の手足マッサージを40分から1時間ほどして、12:00には寝る、という感じです。(……というパターンが理想なのですが、結構、書き始めると止まらなくなってしまい、生活リズムはよく滅茶苦茶になります)以前は、一日5箱くらい煙草を吸っていたのですが、今は、書斎も含めて室内全面禁煙(おまけに、トイレは立ち小便禁止)にされてしまったので、一日3箱くらいになりました。ちなみに、妻の妊娠発覚後、禁煙を試みたのですが、3日で挫折しました。銘柄は、「マルボロ・メンソール」と「マルボロ・ミディアム」を交互に吸っています。いろいろな病気を併発しているので、先日、内科医(美人女医)に、50歳までは生きられないだろうと診断されました。

*** 以下、「ネタバレ」です ***

巻末に「この作品は、いろいろな意味でフィクションです」とあるのは、例えば、冒頭部に「校舎の窓に集まってくる蛾の大きさが40センチ」とありますが、世界最大の蛾は沖縄に生息する「ヨナクニサン」で30センチしかありません。また、中盤に出てくる「ザ・ブルーハーツ」の歌詞は、実は「ザ・ハイロウズ」の歌詞です。そういうフィクショナイズを、編集の成戸さんと相談しながら、結構意図的にいろいろやっています。

本文中にたびたび登場するバー、『ロビンズ・ネスト』は、村上春樹さんの『国境の南、太陽の西』(一番好きな作品です)へのオマージュ、『コスモ銀行』『支店長・常田千一』は、本広克行監督の映画『スペース・トラベラーズ』へのオマージュです。なお、親友「ジョーンズ博士」は実在します。その他のキャラクターには、モデルは存在しません。ただ、ヒロインの「ちなっつぁん」は、ルックス的に、女優の西田尚美さん
(↓この方です)

http://www.omi-2000.com/

をイメージしています。

エンディングについては、賛否両論ありましたが、「啓介」には、私の願望を代弁してもらわなければ、この小説を書いた意味がないので、あのような終わり方になりました。エンディング・エピソードの半分は実話で、半分は『俺たちに明日はない』のラストをイメージしています。この小説を書き上げたお陰で、長年苦しめられてきた「自殺衝動」と、少しだけ訣別できた気がします。

(私は実際に自殺未遂を何度か経験していますが、睡眠薬の大量服薬で死に損なうと、小便駄々漏れですごく汚いし、たった数日の昏睡でも、鬱血して身体の各所に巨大なじょくそう(床ずれ)ができて、後々ものすごく痒くて痒くて気が狂いそうになるので、自殺志願者の方はくれぐれも気をつけてください。あと、右手にナイフをガムテープで縛りつけ、左手にウェディング・ドレス姿の嫁さんの写真を握り締めて、ウィスキーをボトル1本一気飲みしてから、「切腹」を試みたこともあるのですが、現代日本人には、たぶん無理です。昔の侍は勇気があったんだなあ、とつくづく思います。そんなわけで、スーさんとハマーさんの「切腹シーン」はギャグっぽいですが、実体験を元に書いています)

私は、『THE ANSWER』(デビュー作にして、紛れようもなく、私の人生のすべてをかけた「ライフワーク」)で完全に燃え尽きたと思っていたのですが、書き続けていると、またいろいろと「野望」が起き上がってくるものですね。この作品(『自殺同盟軍』)を書く過程で、「第二のライフワーク」への足がかりを掴むことができたし。しかし、書きたい作品を書き下ろしで書けるという状況は本当に幸せです。これは、ひとえにアップルシード・エージェンシー(作家のエージェント)の鬼塚さん(及びスタッフの皆さん)のお陰です。

編集の成戸泰介さんにはもちろんですが、異常なまでに綿密にゲラをチェックしてくださった校正者の方にも深く御礼申し上げたいと思います。あと、装丁を手がけてくださった、イラストレーターの笹井一個氏とデザイナーの方にも! 最初に装丁案がデータで送られてきたきたとき、あまりに素敵でひっくり返ってしまいました。ひっくり返ったまま、ずーっと、プリントアウトした装丁を眺めていました。『THE ANSWER』も「ジャケ買いした」という方が結構いらっしゃいましたが、今回も「ジャケ買い」する人が、たくさんいるんじゃないかな?

最後に、打ち明け話をします。

私は、この作品を執筆中に、別の仕事を一緒にした、ある年上の女性編集者に「恋」をしてしまいました。それは、(まるで世界中の樹がなぎ倒され、世界中の海が干上がるような)とてもとても激しく不条理で一方的な片思いでした。
私の最愛の女性は、昔も今もこの先も、死んでからも、変わらず「妻」です。それは永遠普遍の真理です。でも、それはそれとして、なにがなんだか分からない激情の嵐に飲み込まれてしまったのです。その話を妻に相談したら、「まあ、あんまりみっともないことはしないように」と言われました。私は、基本的には、妻の言うことには「ワンワン」と素直に従うので、「あまりみっともないことはしないようにしよう」と固く唇を噛み締めながら、激情の嵐が過ぎ去るまで、耐え忍びました。

「啓介」の「ちなっつぁん」への思いは、この体験がベースになっています。その女性編集者との出会いがなければ、この作品は書けなかったかもしれません。

Kさん、感謝しています。ありがとう。

でも、やはりこの作品は、あなたにではなく、妻と間もなく産まれてくる子どもに捧げます。

2005年秋 鈴木剛介 記


追記 
今日(2005年10月10日)、TBSの『太宰治物語』を嫁さんと一緒に観ていて、つくづく「作家の自殺」というのは、ナルシスティックでみっともないなあ、と思いました。私も、あまり人のことを言えたギリではないので、これからは重々気をつけようと思います。